今日は最高

A.B.C-Zとlyrical schoolのオタク

A.B.C-ZのコンサートMCの話

こんにちは!横アリの話します

 

A.B.C-Zのコンサート好きって話です(超要約)

 

 

 

!!

横アリありがとうございました!

そういえば横アリについてちゃんと触れるのはこれが初めてだった!

ご縁ありまして昼夜入りました!今回連れていった初めてジャニーズに触れる友人も無事河合担になりました!🙏

 

 

 

さて、その横アリのMCで、A.B.C-Z好きだな〜と特に感じる部分がありまして。

A.B.C-Zって、「内」の空気を作るのが上手いなぁって。(この件に関して意図してるかしてないかはともかく!)

 

 

 

それが以下の2回のMCです(めっちゃニュアンス)

 

①バク転久しぶりにしたら手が痛かったって話

(☆^ш^)手を(床に)置いてきたかと思ったもん!!

     (半スベリ)

(*б_б)んー、30点!

 

②自分のしたい話をしすぎちゃったことに気づいて

(☆^ш^)(コンサートは)何も用意しないで話してるから…

 

その時は普通にワハハーって聞いてたんですけど、家に帰ってからじわじわ「A.B.C-ZのMCのああいうとこありがたいよな〜」って沁みてきました!

 

A.B.C-ZのコンサートMC、「内」だなぁって思うんですよ。

それも、「内輪ノリ」みたいな新規とか現場率低い人置いてきぼりのそれじゃなくて、ファンの人に向ける純粋な「気を許してるよ、楽しいよ」みたいな柔らかさ。

 

 

 

なんでそう感じるのかなって考えたんですけど、多分、(特に)河合さんのトークのお約束的な展開の少なさと、それを聞いてるメンバーの柔らかさなのかなって。

 

 

まず、お約束的展開の話なんですけど、

皆さんはテレビ見てたり、それ以外の一般的な大衆向けトークを聞いてる中で、「お約束」が見えてしまうってことありませんか?

私はあります。

このネタを今日の番組の軸にしようとしてるな、とか

このゲストに対してこのレギュラーが噛み付いて面白くしようとするのかな、とか

それによって「やっぱり」感が強くなっちゃうと面白みがなくなったりするんですけど、あれって必要だよなって思うんですよ。

そんなに仲良くもない共演者同士が会話して、それで自分たちのことを詳しくは知らない大衆を笑わせる。

そのためにはやっぱり一定の型みたいなのがあるんだと。

 

河合さん、テレビとかではそれに則って、「A.B.C-Zを知らない人も笑わせる」っていう仕事をしているわけじゃないですか。(それも日々の努力の積み重ねで!とてもかっこいい!目指せ日本一のMC!)

 

一方で、その「外向きのお約束」をコンサートでやられちゃうと、なんかテレビみたいなよそよそしさがあったりするわけで。

でも河合さんはそうはしないっていうのが、すごいなぁって思います。

あれだけ、外向きの喋りができる人が、いい意味でちょっとスベる話をするのとかって、やっぱり心掴まれちゃうよなぁって…。

 

 

 

次に、聞いてるメンバーの柔らかさなんですけど、河合さんの話が「若干スベった!でも本当に楽しそうに話してくれるなぁかわいいなぁ」って感じられるのって、「それでいい」っていうメンバーの空気もあるよなぁって。

 

ウケなきゃって強迫観念は結構内輪ネタとかを生んでしまうかなって思ってて(いつも同じネタで同じメンバーがいじられるとか)。

だから、「そうだねぇ楽しいねぇ」「よかったねぇ」と聞きつつ、つっこみたい時につっこむメンバーの聞き方って結構アットホーム感の鍵かなって思ってます。

 

 

 

コンサートならではの一面を持っていてくれてる河合さん、思い思いに接するメンバー、このふたつが今のA.B.C-ZのMCの温かさだと思います。

 

 

 

 

私は全然ド新規なんですけど(1年くらい?)、

初めてのコンサートの時、行くまで不安だった「本当に自分ってファンなのかな?(現場行ったら自分の知らない空気感が強くて余所者に感じるかな?)」みたいなのは本当に杞憂だったんです。

 

A.B.C-Zのコンサートは、間違いなく「内」なんだけど、すごく開けた「内」なんだと思います。

来てくれてありがとう、ようこそここが僕達のおうちだよ、みたいな温かさ。

すごく素敵です。

 

俺たちとみんなでA.B.C-Zだし、きっとA.B.C-Zになれない人なんていないよ。

おいでよA.B.C-Zのコンサート。そんな気分です。