良い子はみんなご褒美がもらえる (2019.05.06 赤坂ACTシアター)
解釈というには色々見落としていて
感想というにはめんどくさい
そんな感じです〜
これが全体主義的な国家による言論統制の危険性を説いた作品それだけではないということはおそらくほとんどの人が感じていることだと思うのだけど、
じゃあ何の話よってところは人によって大きく違うし、色んな人が色んなところを切り取って自分の生活とリンクさせたりして捉えていくんだなと思う、面白いね。
さて私は何の話だと受け取ったか。
私はこの作品を
「社会に『ルール』がどれほど根付いていているのか」
という話なのかな〜と受け取りました。
細かいところはまだ1回しか見てないからわからないんですけど(適当…☺)
観劇して全体としての印象、メッセージ性をもって私の頭に残ったのは
「〜であるならば〜」「〜の時〜である」「だったら〜」といった言い回し。
私たちの社会は、「定義」「条件」「因果」を積み重ねて「ルール」の形にすることで成立している。と、いう建前でできている。
それは学問という形であったり、契約という形であったりする。
文法上、「権力者を批判した者は精神病院に入れるべき」と「ここから出たいのならば嘘をつくべき」と「1+1は2であるべき」と「オーケストラは指揮者に従うべき」は同じところにある。
誰かが作ったルールだ。
アレクサンドルは国に逆らったから即ちルールから逸脱した存在なのかといったらそうでもなく
ただ違うルールを選択しているに過ぎない。
全体主義的なルールを受け入れないだけの、それ以外のルールを選択している人間だ。
それはイワノフについてもそうであるし、私が思うに今回の作品に出てくる人間すべてがそうだ。
ルールにのっとって動いているうちは基本的に物事は上手くまわる。良い子はご褒美がもらえる。
1+1は2だというルールゆえに動いているシステムも。
嘘をついてはいけないというルールゆえに動いてる人間も。
うまくいくのだ。
でもルールは絶対ではない。
天動説は覆されたし 1+1は2でなかったりする時もある 一昔前の治療法はある日から間違いになるし 普通に生きてた人は普通でなくなる。
イワノフや医師や大佐や国の選択しているルールを「おかしい」と言うアレクサンドル、あなたの選択しているルールは正しいだろうか?
嘘をついてはいけないか? オーケストラが見えてはいけないか? 国家の存続を脅かす思想犯を精神病院に閉じ込めることはいけないことか? 1+1は2か?
この問はYESでもNOでも構わないのだ。
それぞれの選択したルールが正しいか正しくないかなど その時々で変わってしまう。ルールは絶対ではない。
医師の国家のルールに従っている姿は、どこか社会の歯車的であり全体的であり、滑稽に見える。
でもアレクサンドルも少し前の「普通」の価値観のルールに従って自分を苦しめている「ルールの下の人間」であり、どこか滑稽だ。
後半わかりやすくルールの穴が描写された。
ルールどおりに動いても期待した結果は得られない。名前が同じだったりするのだから。
イワノフは「全員が指揮棒を持っている」と言った。
それは自由の象徴か?
最後のシーンでアレクサンドルは自由になったのか?
私はそうではないと考える。
(だって気持ち悪さが残ったから…)
指揮者もまた 「好き勝手に棒を振り回すべきではない」のだ。
アレクサンドルはどこまでも「不自由」だ。
指揮棒を持ったって 大佐になったって 科学をそれらしく味方に付けたって マジョリティに属したって
人はルールに守られて ルールに縛られて ルールに踊らされる。
私はこの作品をそう捉えた。
じゃあルールなんていらないの?
なんて考えてみたけど
その答えは必要だろうか?
問題に答えが必要なんてルールはどうだっていいのだから。